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最高裁判所第三小法廷 昭和42年(行ツ)86号 判決 1974年4月09日

上告人 東海財務局長

訴訟代理人 貞家克己 外五名

被上告人 富士山本宮浅間神社

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告指定代理人青木義人、同鰍沢健三、同藤井康夫、同川本権祐、同渡辺柳太郎、同斉藤整督、同吉海正行各名義の上告理由第一点について。

論旨は、要するに、昭和二二年法律第五三号「社寺等に無償で貸し付けてある国有財産の処分に関する法律」(以下「法」という。)一条の定める「宗教活動を行うのに必要なもの」という要件は、社寺に対する従来の国有財産の無償貸付関係を廃絶し、これを清算するにあたり、当該社寺にその自立自営に必要な範囲で国有財産を無償譲与することは、従来の沿革からみて日本国憲法八九条の禁止する特別利益の供与に当たらないとする見地から規定されたものであつて、このような見地からすれば、神体山というような、宗教目的を達成するために所有することを必要としない土地はこれに該当しないものと解すべきであるのに、原判決が、これと異なる見地から、右「宗教活動を行うのに必要なもの」の概念を不当に拡張して解釈し、富士山八合目以上の土地を神体山として被上告神社の「宗教活動を行うのに必要なもの」に該当し、右土地中第一審判決別紙目録第三記載の土地を除くその余の一、一七六、〇七六坪九合五勺(以下「本件係争地」という。)が昭和二二年勅令第一九〇号「社寺等に無償で貸し付けてある国有財産の処分に関する法律施行令」(以下「令」という。)一条一項二号、五号、七号に該当するとしたのは、法一条、令一条の解釈適用を誤つたものであり、また、原判決には、そのように解釈する理由の説示について判断遺脱、理由不備ないし理由齟齬の違法がある、というのである。

思うに、法において、国有地である社寺等の境内地等を無償貸付中の社寺等に譲与することにしたのは、明治初年に社寺等から無償で取り上げて国有とした財産を日本国憲法施行に先立つてその社寺等に返還する処置を講じたものである(最高裁昭和三〇年(オ)第一六八号同三三年一二月二四日大法廷判決・民集一二巻一六号三三五二頁)。換言すれば、法は、右無償貸付中の国有財産のうち、社寺上地、地租改正(以下「社寺上地等」という。)により国有となつたものについては、社寺等がそれ以前において有していた権利が社寺上地等がなかつたとすれば民法の施行に伴い民法施行法三六条により民法にいわゆる所有権の効力を有するにいたる実質を有するものであつたことを前提として、制定されたものであり、法にいう譲与は、実質的、内容的にみて旧所有権の返還の処置たる性格を備えているのである。

すなわち、明治四年正月五日太政官布告(いわゆる社寺領上知令)により上地の対象とされたのは「現在ノ境内地ヲ除クノ外」の社寺領であつたが、右境内地の範囲は、数次の令達により次第に狭められ、ついには「祭典法用ニ必需ノ場所」に限定されるに至つた(明治八年六月二九日地租改正事務局達乙第四号社寺境内外区画取調規則)。また、明治六年太政官布告第二七二号地租改正条例等に基づく事業としてされた土地の官民有区分にあたつては、境内地といえども、「民有地ノ証ナキモノ」はすべて官有地に編入された(明治八年七月八日地租改正事務局議定(地所処分仮規則))。その後、明治三二年法律第八五号国有林野法により、「社寺上地ニシテ其ノ境内ニ必要ナル風致林野ハ区域ヲ画シテ社寺現境内ニ編入」しうる途が開かれ、また、同年法律第九九号国有土地森林原野下戻法により、翌三三年六月三〇日までの期限を限つて、「地租改正又ハ社寺上地処分ニ依リ官有ニ編入セラレ現ニ国有ニ属スル土地」等につき、「基ノ処分ノ当時之ニ付キ所有又ハ分収ノ事実アリタル者」からの申請による下戻の方法が認められることとなつたが、それは、上記社寺上地における現境内地の決定が社寺等にとつて少なからず酷であつたこと、また、官民有区分の査定にあたり、民有の証があつても、その事実を主張せずして官有地に編入された疑いのあるものが少なくなかつたことを、物語るものである。また、大正一〇年法律第四三号国有財産法(以下「旧国有財産法」という。)二四条による国有境内地の無償貸付は、右のような事情に基づいて、寺院等にその下戻と同様の効果を与えるものである。なお、昭和一四年法律第七八号「寺院等ニ無償ニテ貸付シアル国有財産ノ処分ニ関スル法律」は、国と寺院等の間に従来から特殊の沿革関係の存した国有境内地を一定の条件の下に譲与することとしたが、それは、これによつて宗教団体の保護、助長をはかる一方、社寺上地等を不満とする寺院等の長年にわたる境内地返還の要望にこたえるものであつた。当時、神社は、国政上特殊法人たる営造物法人としての地位におかれ、その境内地も、行政上公用財産として取り扱われていた(旧国有財産法二条二号)ため、神社境内地は、右法律とは無関係であつたが、そのような取扱がなければ、神社境内地についても、同様に返還問題の発生すべき素地は十分に存していたというべきである。そして、その取扱は、昭和二一年勅令第七一号「昭和二十年勅令第五百四十二号ポツダム宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件ニ基ク明治三十九年法律第二十四号官国幣社経費ニ関スル法律廃止等ノ件」をもつて変更され、神社境内地も、寺院境内地の場合と同様に、雑種財産として無償貸付したものとみなされることとなつた。

旧国有財産法に基づく社寺等に対する国有境内地等の無償貸付関係は、以上のような沿革を有するものであるが、宗教団体に対する特別の利益供与を禁止する日本国憲法の下において、これを持続することは、不可能である。しかし、これを清算するにあたり、ただ単にその消滅のみをはかるとすれば、上記の沿革的な理由から従来社寺等に認められていた永久、無償の使用権をゆえなく奪うこととなり、財産権を保障する日本国憲法の精神にも反する結果となるのみならず、その結果、社寺等の宗教活動に支障を与え、その存立を危くすることにもなりかねないのであるが、そのような結果は、実質的にみて特定宗教に対する不当な圧迫であり、信教の自由を保障する日本国憲法の精神にも反するところである。そこで、上記の沿革にかんがみ、旧国有財産法に基づき社寺等に無償貸付してある境内地等のうち、社寺上地等により国有となつた土地等については、それ以前に社寺等の有していた権利が民法施行後は所有権の効力を有するに至る実質を有するものであることを承認したうえ、これを元来所有権者であるべき社寺等に無償で返還(譲与)することとして制定されたのが法であると解されるのであり、そのゆえにこそ、法に基づく国有財産関係の整理が日本国憲法八九条の趣旨に反するものではないといいうるのである(前掲大法廷判決参照)。なお、法二条による半額売払の制度は、社寺上地等により国有となつた沿革を有する土地であつても、明治初年における事実の挙証が困難である場合があることを考慮し、かつ、旧国有財産法による無償使用権に対する補償をも含めた趣旨のものとして、その合理性を認めることができるものである。

もつとも、法による譲与の対象となる財産は、上記の沿革的事由はともかくとして、いつたんは国有となつているものであるから、譲与等の処分は、形式的に見るかぎり、宗教団体に対する公の財産の供与であり、専ら収益目的に供される土地等当該社寺等の宗教活動に直接関係のない財産をも処分の対象とすることは、処分を受ける社寺等に特別の利益を供与する結果となり、政教分離の趣旨にそぐわないこととなる。法が譲与の対象を「宗教活動を行うのに必要なもの」に限定したのは、右のような点の考慮に出たものである。したがつて、右の要件は、譲与等の処分により社寺等に対して特別の利益供与をもたらす結果となるおそれのある土地を処分の対象から除外すべきものとする意義を有するものと、解すべきである。

ところで、法一条、二条に規定する「社寺等の宗教法動を行うのに心要なもの」とは、具体的には法三条の委任に基づく令一条一項各号に定める物件をいうに外ならないところ、同条項の各号が掲げるものは、概括的にみて、主としていわゆる社寺等の境内等及びその附属地等に限られるものと解されるが、それは、要するに、教義の宣布、儀式行事の執行、信者の教化育成の目的すなわちその宗教目的のために必要な当該社寺等に固有の土地を意味するもと、解される。したがつて、その範囲、すなわちその種類や広狭は、宗教教義、宗風、伝統、慣習等を異にする社寺等によつておのずから差等があることは当然であり、特定の土地がこれに該当するか否かの判断にあたつては、当該土地の性質、形状、所在の地理的条件及びこれを従前境内地としてきた社寺等の上記のような面における特殊性をも無視することはできないのである。

このような見地からすれば、一般的にいつて、いわゆる神体山として信仰の対象とされ、宗教上の儀式、行事の基礎ないし対象とされている山岳その他の土地の如きは、特段の事情のないかぎり、当該神社等の宗教教義、宗風、伝統、慣習等にかんがみ右にいう宗教目的のために必要な固有の土地に該当するものであり、令一条一項二号にいう「宗教上の儀式又は行事を行うため必要な土地」として法一条にいう「宗教活動を行うのに必要なもの」に該当するものであると解するのが相当である。けだし、右にいう「宗教上の儀式又は行事を行うため必要な土地」ないしは「宗教活動を行うのに必要なもの」が、通常は、宗教上の儀式、行事を行うため、ないしは宗教目的のために手段的に用いられるものを指すとしても、それのみに限定されるものと解すべき合理的理由も見出しがないところ、信仰の対象が支配管理の可能性の存する土地であるような場合には、その信仰の対象としての価値を維持するための管理があらゆる宗教活動の基盤となるという場合がありうることは否めないところであつて、宗教上の儀式、行事の基礎ないし対象とされている神体山の如きは、右の管理が儀式、行事の不可欠の前提となるという意味において、令一条一項二号に該当するものと解することができるのみならず、上記のような法による譲与制度の成立由来及び法一条が「宗教活動を行うのに必要なもの」という譲与の要件を定めた趣旨、目的及びその意義からすれば、法がそのようなものを譲与の対象から除外すべきものとする趣旨であるとは解されないからである。富士山以外の神体山を宗教活動を行なうのに必要な土地として譲与した行政実務処理があつたという事実は、原審が適法に確定するところであるが、そのことは、処分行政庁としても、制度の趣旨にかんがみてそのように処理せざるをえなかつたことを示すものであり、正当な処理であつたと評価されるのである。

これを本件についてみるに、被上告神社が「木花佐久夜毘売命」を主神として奉斎し、公衆礼拝の施設を備え、神社神道に従つて祭祀を行ない、祭神の祭徳をひろめ、同神社を崇敬する者及び神社神道を信奉する者を教化、育成し、社会の福祉に寄与し、その他同神社の宗教目的を達成するため、財産管理その他の業務を行なうことを目的とする宗教法人であり、富士山八合目以上の土地が、被上告神社の御神体を形成して、古来富士信仰の対象となつていること(それは、被上告神社の各種の儀式、行事等が、御神体である富士山八合目以上の土地を基礎とし、あるいは対象として、行なわれていることを意味する。)、右土地は、明治一〇年頃被上告神社の境内外として上地の結果国有になつたものであるが、その後、明治三二年法律第八五号国有林野法三条三項に基づき、そのうち、御料林野に編入されなかつた部分は明治三二年七月二八日に、御料林野に編入されていた部分は昭和七年九月二九日に、被上告神社の境内と認められたこと、右法条にいう「其ノ境内ニ必要ナル風致林野」は、「祭典、法要又ハ参詣道ニ必要ナル箇所」や「歴史若クハ古紀社伝等ニ於テ社寺ト密接ノ縁故アル箇所」をも含むと解されていた(明治三九年二月一七日農商務省内務省訓令林発第三号参照)ことは、いずれも、原審が適法に確定するところである。これらの事実関係につき、以上述べたところから考えれば、被上告神社が富士山八合目以上の土地を収益目的その他宗教目的以外に使用しているなどという事情はうかがわれないのであるから、本件係争地は、令一条一項二号にいう「宗教上の儀式又は行事を行うため必要な土地」として法一条にいう「宗教活動を行うのに必要なもの」に該当するものというべきである(そうである以上、本件係争地が令一条一項五号、七号に該当するか否かの点については、論及する必要はないことなる。)。

原判決は、右と異なる見解に立つものではあるけれども、本件係争地を令一条一項二号に該当するものとして法一条にいう「宗教活動を行うのに必要なもの」に該当するとしたその結論において正当であり、また、その説示に若干適切を欠く点はあるけれども、所論その余の違法があるものともいえない。以上の次第で、論旨は採用することができない。

同第二点について。

論旨は、要するに、令二条にいう国有として存置すべき公益上の必要性という要件は、法一条にいう「宗教活動を行うのに必要なもの」という要件とともに、国と社寺との間の特殊関係の清算にあたり、国有物件を両者間に合理的に割り振るための要件であつて、いずれが原則、いずれが例外というべきものではないから、結局、両者のその物件によせる必要性の度合を比較して優劣を決めるべきであり、仮に、被上告神社にとつて富士山八合目以上の土地がその宗教活動を行なうのに必要なものであると認めるとしても、その必要性の度合は左程強いものではないから、これを国民全体のものとして国有に残しておきたいという国民感情上の要請との対比からしても、国有として存置すべき公益上の必要性があるものと認めるべきであるのに、これと異なる見地から右国有として存置すべき公益上の必要性を不当に厳格に狭く解し、富士山八合目以上の土地全域につき国有として存置すべき公益上の必要性があるとの上告人の主張を排斥した原判決には、令二条の解釈適用を誤つた違法があり、また、そのように解釈する理由の説示について理由不備ないし理由齟齬の違法がある、なお、文化、観光その他公共の用に供することの必要に関する主張について判断遺脱の違法がある、というのである。

思うに、上記のような法制定の趣旨、目的、及びこれによる譲与が実質的内容的にみて旧所有権の返還の措置たるの性質を備えているものであることからすれば、右譲与は覊束された処分であると解すべきである。このことと、上記のような、法一条が「宗教活動を行うのに必要なもの」という譲与の要件を定めた趣旨、目的及びその意義から考えれば、令二条は、譲与、すなわち返還の措置を講ずるのが相当である場合に、公益上の必要から特に譲与しないという例外的措置を定めた趣旨の規定であるというべきである。そして、同条は、国有として存置しうる場合を「特に」必要がある場合に限定し、公益上の必要を広く解するとすれば当然これに包含されるべき森林経営上の必要を別途に規定しているのであり、また、同条により国有として存置されることとなる国有財産についてはその無償使用権の消滅につきなんら補償の手当をしていないことをも考慮すれば、同条の規定は厳格に解釈すべきであり、これにより所定の国有財産を国有として存置する措置は、国において当該国有財産を管理すべき明白かつ具体的な公益上の必要性のある場合に、例外的に許容されるものと解するのが相当である。なお、同条は、譲与の場合のみならず、同時に法二条による半額売払の場合についても規定するものであるが、上記のような半額売払の制度の趣旨にかんがみれば、そのことは、上述の解釈の妨げとなるものではない。

以上述べたところからすれば、所論の国民感情や具体的計画に基づかない文化、観光その他公共の用に供する必要等は、令二条にいう国有として存置すべき公益上の必要には当たらないものといわなければならない。したがつて、富士山八合目以上の土地全域につき同条により国有として存置すべき公益上の必要性があるとはいえないとした原判決(所論は判断遺脱をいうけれども、原判決を通読すれば、それが所論の主張を排斥する趣旨であることは明らかである。)は、その結論において正当である。

以上の次第で、論旨は採用することができない。

よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

(裁判官 江里口清雄 関根小郷 天野武一 坂本吉勝 高辻正己)

上告理由書<省略>

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